目黒駅前1分(目黒西口マンション内)。首こり、痛み、しびれ、腰痛、頚椎矯正専門の整体院です。

私が整体師になったワケ その6

これまでのブログでは

「体調を崩し、運命の出会いとも言える最初の師匠に出会ったこと」

「その出会いがきっかけで、自分の手で人の痛みや辛さを改善する仕事をしたいと思ったこと」

「周囲の猛反対を押し切って整体師になることを決意したこと」

といったことをお話ししてきました。

そうした中で整体師になることを後押ししてくださり、整体師になることを最終的に決定づけてくださった、現在の師匠との出会いについてお話ししたいと思います。

私の心の中で「整体師になる」と決めて、教授や助教授の先生を説得していた時、教授の先生から

「君に会わせたい人がいるけど会ってみるか?」

と言われ、その方のところに連れて行っていただきました。

当時、現在の師匠は銀座でかなり大きなラウンジを経営していました。

通常は接客し、ウェイターなども兼任していましたが、その傍ら、従業員控室にベッドを置き、そこで施術をしていました。

と言いますか、実はそっちが本業でウェイターは副業だったとのことでした。

お店の営業中に、調子の悪いお客さんを奥のその一室で治療していたのです。

お客さんの中には、どちらかというとそれを目的に来ている方の方が多かったのかもしれません。

教授がなぜそのお店を知ったかというと、そのお店の近くに大学の後輩の薬局があり、その方の紹介で師匠ともお知り合いになったようです。

ただ、教授は施術を受けたことがないらしく、お酒をたまに飲みに行く程度だったとのことでした。

整体が本業で水商売が副業、という一風変わった仕事のスタイルに、私はとても興味を惹かれました。

というのも、私自身、「整体一本でやるものだ」という固定概念しかなかったですし、こういう道に進む方も、きっとそういう方々なのだろうと思っていましたので。

そして話しを聞いてまたビックリ!

なんと!

師匠のお父さんは力士でおじいさんは行司という、相撲一家の息子さんだったのです。

20年近く前にお父さんが亡くなられたため、現在は廃業となったので相撲部屋はなく、色々あって相撲界とも関係はないそうです。

しかも、幼少の頃からいわゆる「不思議な能力」を持っていたそうです。

そのため、

「この子は力士ではなく治療家として育てよう」

ということでその道の教育を受けたそうです。

相撲界ではあれだけの巨漢が立ち会いで激しくぶつかり合うため、首や体を痛めることが非常に多いらしく、それを専門に治す特殊部隊がいるそうなのです。

そうした方々から教わったことに加え、自分でも幼少の頃からどこが悪いかがわかってしまっていたそうで、それらに独学で勉強したことを合わせて、現在の独自の理論を確立したとのことでした。

しかも・・・

その時は全然知らなかったのですが、実はこの方、

「ゴッドハンド」と呼ばれるほどの凄腕整体師だったのです。

さらに・・・

年齢を聞いてさらにビックリ!
なんとまだ40代(当時)!

耳にピアスも入れていて、見た目もすごくお若い。

何ともまあ驚きの連続・・・

「そんな方との奇跡的な出会いを導いてくれた教授はなんて心が広い方だ」

当時の私は心の底から何の疑問も抱かずに、教授への感謝の気持ちでいっぱいだったのです。

でも・・・

なぜ私が助手を辞めることに反対している教授が、そんな素晴らしい出会いを私に与えてくれたのか?

これには別の理由があったようなのです・・・

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